毎日新聞によると、文科省は公立学校教員給与に残業代の代わりに教員給与上乗せしている「教職調整額」について、現在の4%から13%にする案をまとめたとしている。1年前以上から中教審特別部会にて審議をし、その案では10%以上とされていたが、その案に対し18000件ものパブコメが寄せられた。前代未聞の批判を受けて、文科省が13%との案をまとめたことは、財務省との対立を演出しているかのように見える。「手当が3倍以上!」というメディアの声がちらほらするが、この手当が定められてから50年で私たちの残業時間は8時間から96時間(全教調査)の12倍になっているのだ。そもそもパブコメのほとんどの声は手当の増額を望むものではなかった。『「審議のまとめ」を撤回し、抜本的な再検討を求める。①大幅な教職員増、②担当授業時間の上限設定、③教育内容の精選、④少人数学級の実現、⑤残業代の支給による教職員を取り巻く環境の劇的な改善を求める。』という声に代表されるように、抜本的な改善を求める声がほとんどだ。
残業時間にすると25時間程度の13%という調整額の多寡をいいたくはないが、全教調査では月96時間もの残業を強いられている。必要なのは1.6倍の人手だ。
手当を増額するということでは、教育に魅力を感じ教育の世界に飛び込む若者は増えないどころか、教員不足はますます悪化するだろう。先生が笑顔でいられない状況である以上、教育を受ける子どもの不登校や自殺の数も改善されないことだろう。
日本はOECD諸国の中で教育財政支出が圧倒的に低い国だ。先進国では20~30人学級が一般的だが、日本では35~40人の大人数学級が当たり前となっており、画一的で競争的な教育が進められている。道徳教育の強化が進む一方で、主権者教育が軽視されている現状は、国の姿勢を反映している。軍事費が増加する中、なぜ教育に対する投資が優先されないのか、疑問を感じる。私たちは手当の増額ではなく、教育の抜本的な改善と教職員の増員を強く求める。
ノーベル平和賞受賞者のマララ・ユスフザイさんは「本とペンを持ちましょう。これこそ、最も強力な武器です。」と語った。戦争でゆらぐ世界の中で、憲法9条を持ち、戦争を放棄した国でなぜ教育にお金をかけるという発想にならないないのか。「経済」「経済」という政治家が蔓延しているが、それで行くと最終的には軍需産業ほどお金が儲かるものはなく、戦争に協力・荷担することになる。
私たちに必要なのは「経済」ではなく、人への「敬愛」だ。