昨日発表の文科省最新調査で全国の不登校の小中学生は2022年度29.9万人だった。2021年度が24.5万人だったから22.1%の増だそうだ。「不登校」がもたらす家庭・学校への影響、そして将来にもたらす社会への影響は計り知れない。データの取り方を変えたわけではないのに、これだけ増えるというのは非常事態だ。しかし、不思議なのは報道のありかただ。その原因がまず「学校の教育活動」のあり方にあるのではないかと考えるのが普通だと思うのだが、そういう報道・分析は見受けられない。当然、学校の教育活動の指針となっている「学習指導要領」を変えるべきだという主張も見られない。ましてや教師や教員の働き方が問題ではないかという記事も無い。「コロナ禍による家庭の経済不安からのストレス」論が主流のようだ。
しかし、教育現場から聞こえてくるのは、「現場が持たない」という「悲鳴」だ。学校の底抜けが始まっているという教育学者も少なくない。そもそも「学校5日制」、「学テ体制」、「授業時数確保の押しつけ」が始まってから、競争は激化し、持ち授業時数も増えて授業の準備の時間も無く、学校現場はやりがいの無い業務が激増した。そこへ持ってきてコロナに乗じたICT利活用の押しつけと教員不足だ。先日、全国の状況を情報交換した私たちの会議では、正規の人数より7人足りないという学校もあると聞いた。教員不足によってあらゆる教育活動に影響は波及している様子が全国から次々と報告された。先生が悲鳴を上げていれば、学びがいのある授業の準備ができなくなるのは当たり前。生徒に目が行き届かないのも当たり前。そうなれば不登校(いじめも)が増加することは当たり前で、不登校をその児童・生徒の問題に落とし込んではいけないのではないかと思うのだ。文科省は「誰一人取り残すことのない」教育を構築すると言っているのだから…。
この増加と比例するのは、教員不足の増加、教員の精神疾患の増加だ。コロナ禍に乗じて「教育DX」が押しつけられ、「授業改善」・「学力向上」も「探究の時間」もましてや「働き方改革」まで「ICT利活用」によって進められている。しかし、悪化するばかりの教育現場。
いい方法を報道機関にも文科省にも政治家にも国民にも教えてあげたい。
①35人、40人学級を20人にすること。不思議と授業は教師が行うものではなく生徒が学ぶために行われる。自分のために授業されていると気づいた生徒は授業でほとんど寝なくなる。掃除も気持ちよく手伝ってくれる素直な子どもたちになる。素直で有りながら批判的に社会を見ることのできる学力も身につく。これは過疎地北海道だから実感できるボクの経験談(北海道ではかなり共感できる)。
②学習指導要領の中身を3割にすること。そもそもスマホで調べればわかる時代に暗記させられる知識が多すぎる。テストによる格差を作り、負けた生徒の自尊心を低下させるために学習量が決められているかのようだ。知識の詰め込みに使っていた時間を、思考力を身につけ、学問のすばらしさ、生きることのすばらしさに気づくような授業準備に向けると良い。
③教師の持ち時数を大きく減らし、研修の時間を作ること。
④緊急に学テを中止すること。遊ぶ時間を増やし、自然に親しむこと。
たったこれだけで、生き生きとした子どもたちと教員が激増することは疑いない。軍事費に予算を集中している場合では無い。
 ノーベル平和賞を受賞したマララさんの言葉を、今一度私たちは「我がこと」として捉えるときが来ているのではないだろうか。マララさんは「教育しか解決策はない」と語った。文科省が「誰一人取り残さない」という言葉の枕に「戦時体制のために」とつけるのか、つけないのか。今、私たちに問われているのではないでしょうか。
 
マララ・ユサフザイさんの国連本部でのスピーチ(2013年7月12日、マララ・デー)
最も慈悲深く寛大な神の名において
潘基文(パン・ギムン)国連事務総長殿、
ブーク・イェレミッチ総会議長殿、
ゴードン・ブラウン国連グローバル教育担当特使殿、
尊敬すべき年長者と親愛なる兄弟姉妹の皆さん、
きょう、久しぶりにお話しできることを光栄に思います。これだけの尊敬すべき方々に囲まれることは、私の人生の中でも、すばらしい機会です。そしてきょう、故ベナジール・ブットー首相のショールを身に着けられることは、私にとって大きな名誉です。
どこからお話を始めたらよいかわかりません。人々が私にどのような話を期待しているのかもわかりません。しかし最初に、私たちをすべて平等にお造りいただいた神に、そして私が早く元気になり、新しい生活を始められるよう祈ってくださった皆さんに感謝します。人々は私に信じられないほどの愛情を示してくれました。私のところには全世界から、何千もの回復を祈るカードや贈り物が届きました。そのすべてに感謝します。その素直な言葉で私を元気づけてくれた子どもたちに感謝します。そして、その祈りで私に力を与えてくださった年長者の皆さんに感謝します。
私が再び元気な姿に戻れるよう助けてくださったパキスタンと英国の看護師、医師、病院職員の方々、そしてアラブ首長国連邦の政府にも感謝したいと思います。私は潘基文事務総長のグローバル・エデュケーション・ファースト(Global Education First)イニシアティブと、ゴードン・ブラウン国連特使、ブーク・イェレミッチ総会議長の活動を全面的に支持します。そして、皆さんが絶えず発揮しているリーダーシップに感謝します。皆さんは私たち全員を行動へと駆り立て続けています。
親愛なる兄弟姉妹の皆さん、ひとつ覚えていてほしいことがあります。マララ・デーは私の日ではありません。きょうは権利を求めて声を上げたすべての女性、すべての少年少女の日です。 何百人もの人権活動家やソーシャルワーカーが、その権利を言葉で主張するだけでなく、平和、教育、平等という目標を達成するために日々闘っています。テロリストによって命を奪われた人々は数千人、負傷した人々は数百万人に上ります。私はその1人にすぎません。
ですから私は、多くの少女たちの1人としてここに立っています。
私の役割は、自分の権利を主張することではなく、声なき人々の声を伝えることにあります。
それは自分たちの権利、つまり平和に暮らす権利、尊厳のある取り扱いを受ける権利、均等な機会を得る権利、教育を受ける権利を求めて闘ってきた人々に他なりません。
親愛なる皆さん、私は2012年10月9日、左の側頭部をタリバン兵に撃たれました。友達も撃たれました。彼らは銃弾で私たちを黙らせようと考えたのです。しかし、そうはいきませんでした。その時、沈黙の中から数千の声が上がったのです。テロリストたちは私たちの目的を変えさせ、私の意志をくじこうとしたのですが、私の人生で変わったことはひとつだけでした。それは、弱さや恐怖、絶望が死に絶え、その代わりに強さと力、勇気が生まれたということです。私は今までと同じマララです。私の意志も変わっていません。私の希望も、夢もそのままです。
親愛なる兄弟姉妹の皆さん、私は誰も敵だとは思っていません。ましてや、タリバンその他のテロ集団に対する個人的な復讐心もありません。私はあらゆる子どもの教育を受ける権利を訴えているのです。タリバンやすべてのテロリスト、過激派の子どもたちにも教育を受けてほしいと思っています。
私を撃ったタリバン兵さえ憎んでいません。銃を持つ私の目前に彼が立っていたとしても、私は撃たないでしょう。それこそ私が慈悲深い預言者マホメット、イエス・キリスト、そしてお釈迦様から学んだ思いやりの心です。それこそ私がマーティン・ルーサー・キング、ネルソン・マンデラ、ムハンマド・アリ・ジンナーから受け継いだ変革の伝統です。それこそ私がガンジー、バシャ・カーン、マザー・テレサから学んだ非暴力の哲学です。 そしてそれこそ、私が父と母から学んだ寛容の心です。私の魂からも「平和を愛し、万人を愛しなさい」という声が聞こえてきます。
親愛なる兄弟姉妹の皆さん、光の大切さがわかるのは、暗闇に閉ざされた時です。声の大切さがわかるのは、沈黙を強いられた時です。私たちは同じように、パキスタン北部のスワートで銃を目にした時、ペンと本の大切さに気づいたのです。
「ペンは剣よりも強し」ということわざは本当でした。過激派が昔も今も恐れているのは、本とペンです。教育の力は彼らにとって脅威なのです。彼らは女性も恐れています。女性の声が持つ力が恐怖なのです。だからこそ彼らは最近、クエッタの攻撃で罪のない学生を14人も殺したのです。だからこそ彼らは、カイバル・パクトゥンクワ州で多くの女性教師とポリオ撲滅の活動家を殺したのです。彼らが日ごとに学校を爆破しているのも同じ理由です。それは彼らが昔も今も、変化を恐れ、私たちが社会に持ち込む平等を恐れているからです。
ジャーナリストが私の学校の男の子に「タリバンはなぜ教育に反対しているのか」と尋ねたことがありました。男の子の答えは単刀直入でした。本を指さして「タリバン兵はこの本に何が書いてあるか知らないからだ」と言ったのです。彼らは神のことを、学校に通っているからという理由だけで少女たちを地獄に落とすような、狭小な保守主義者だと信じています。テロリストたちはイスラムとパシュトーンの名をかたり、自分たちの個人的な利益を求めているだけなのです。パキスタンは平和を愛する民主主義国家です。パシュトーン人は娘や息子たちの教育を望んでいます。そしてイスラムは、平和、人道、同胞愛を説く宗教です。イスラムの教えによれば、教育を受けるのは子どもの権利であるだけでなく、その義務と責任でもあるのです。
事務総長殿、教育には平和が必要です。パキスタンやアフガニスタンをはじめ、世界各地ではテロや戦争、紛争によって子どもたちが学校に通えなくなっています。こんな戦争はもうたくさんです。女性と子どもは世界各地で、さまざまな苦しみを抱えています。インドでは、罪のない貧しい子どもたちが児童労働の犠牲になっています。ナイジェリアでは多くの学校が破壊されました。アフガニスタンの人々は数十年間にわたり、過激主義に苦しめられてきました。幼い女の子たちが家事労働に使われ、早婚を強いられています。貧困、無知、不正、人種主義、そして基本的権利の剥奪は、男性にとっても女性にとっても重大な問題です。
親愛なる仲間の皆さん、私はきょう、女性の権利と女児の権利を中心にお話ししています。それは女性が最も大きな苦しみを抱えているからです。女性の社会活動家たちはかつて、女性の権利のために立ち上がるよう男性に求めていました。しかし今度は、私たちが自ら立ち上がる番です。男性に女性の権利の代弁をやめるよう求めているのではありません。女性が独立し、自力で闘うことが大事だと言っているのです。
親愛なる兄弟姉妹の皆さん、今こそ声を上げる時です。
ですから、私たちはきょう、世界の指導者たちに、その戦略的な政策を平和と繁栄のために支えるよう呼びかけます。
私たちは世界の指導者たちに、どのような和平協定も女性と子どもの権利を守るものとせねばならないと訴えます。女性の権利に反する取決めを受け入れることはできないからです。
私たちはすべての政府に対し、全世界であらゆる子どもに無償の義務教育を与えるよう呼びかけます。
私たちはすべての政府に対し、テロや暴力と闘い、残虐行為や危害から子どもたちを守るよう呼びかけます。
私たちは先進国に対し、開発途上地域の女児の教育機会拡大を支援するよう呼びかけます。
私たちはすべてのコミュニティに対し、寛容の心でカースト、信条、宗派、人種、宗教、ジェンダーによる偏見を拒絶するよう呼びかけます。それはまた、女性の自由と平等を確保し、豊かな暮らしを送れるようにすることでもあります。半数の人間が抑圧されている世の中が、うまく行くはずなどないからです。
私たちは全世界の姉妹の皆さんに対し、勇気を持って自分の強さを認め、その能力を最大限に発揮するよう呼びかけます。
親愛なる兄弟姉妹の皆さん、私たちはあらゆる子どもの輝ける未来のために、学校と教育を求めます。私たちは平和と教育を目指す旅を続けてゆきます。誰も私たちを止めることはできません。私たちは自らの権利を求めて声を上げ、その声を通じて変化をもたらします。私たちは言葉の力と強さを信じています。私たちの言葉で世界を変えることができます。私たちはともに、団結して教育を求めているからです。その目的を達成するために、知識という武器を装備し、連帯と団結という盾で身を守ってゆこうではありませんか。
親愛なる兄弟姉妹の皆さん、何百万もの人が貧困、不正、無知に苦しんでいることを忘れてはなりません。何百万もの子どもたちが学校に通えていない現実を忘れてはなりません。私たちの兄弟姉妹が、明るく平和な未来を待ち望んでいることを忘れてはならないのです。
ですから、本とペンを手に取り、全世界の無学、貧困、テロに立ち向かいましょう。それこそ私たちにとって最も強力な武器だからです。
1人の子ども、1人の教師、1冊の本、そして1本のペンが、世界を変えられるのです。
教育以外に解決策はありません。教育こそ最優先です。