先日、教え子Aさんの結婚式に招待されたので参加した。3年間担任を持った生徒。勉強を全然しないが元気な子。何度も成績会議の後にご両親を招待した。「お母さん、この子は結婚式が楽しみですね。」と当時も話したことを覚えている。こんなエピソードもある。ボクは無理に家に勉強道具を持って帰らせたところで、勉強するものではない(家に帰って勉強したくなるような授業の準備に力を入れた方がいい)と思っているので、「置き勉禁止」というのは反対ではあるのだが、勤務校は狭隘で鞄が重くても勉強道具を置くところなどない。なので担任として「置き勉」は退治していた。でもこのAさんはなかなかしつこかった。どうしても学校に置きたい生徒は下駄箱に入れて帰る。しかし3年間担任したAさんはボクがくだらない戦いは好まないことを知っていて、隙を見ては勉強道具を机に入れて帰る。最後のボクの戦法は宅急便で家庭に送ることだった。これにはご両親も恐縮して、何度も送料を支払おうとしたが受け取らなかった。さすがにAさんも教室に置き勉をしなくなった。ボクの勝ちだ。でも、このAさんはめちゃくちゃ正直な子だ。やりたくないことはしない。やりたいことは一生懸命。そして、失敗して覚えていく。なにより、悪いなと思ったことはきちんと謝る。そんな人だ。卒業後もしょっちゅう連絡をくれるがいろんな成長話が聞けて面白い。

 札幌で行われたそんなAさんの結婚式、チャペルで牧師がしゃべったのはこんな話だった。「これから2人が出会うというのはものすごい確率だという話をしましょう。二人はまず、この世に生まれなければ出会えませんでした。そして、健康に育たなければ出会いませんでした。・・・この確率はどんな確率か。こんな例えがあります。時計をばらばらにして、海に捨てたとします。するとどうなりますか?」と新婦に無茶ぶりの質問。そして、「二人が出会う確率は、時計が波にさらされて元通りになる。それと同じくらいの確率なのだそうです。」という話だった。そんなにすごいのかと言うより、そんな低い確率ではないだろなんて気持ちになってしまう話なのだが、式後に一緒にいた卒業生と話していても話題になる記憶に残る話だった。その日は卒業生と終電もない時間まで話し込んで遅くに家に帰り、次の朝を迎えたのだが、息子が驚く話をした。息子は、千歳で偶然にも高校時代の友達の結婚式が同じ日にあった。それも珍しいことなのだが、「昨日の牧師は声がデカかった」という。そういえばボクの牧師も声が大きかった。「そういえば父ちゃんの牧師も声が大きくて2人の出会う確率について語ってたわ」というと、息子もそんな話だったという。話の中身を披露していくと全く同じ。質問するタイミングも同じだった。娘がインスタで見つけた牧師の写真を見て同一人物なのが判明。なんと、同じ日に別々の場所で親子で結婚式があり、チャペルに招待され、同じ話を聞く。これこそすごい確率ではないか。そんな話で我が家は久しぶりに大爆笑だった。

 まだ続きがある。次の日、職場に行くと食卓にボクのハンカチが置いてあった。どこかに落としたのだなと思って家に持って帰ると、同じハンカチが家にあった。ボクのではなかったのだ。

 やたらとシンクロする一週間だ。