10月24日の朝日新聞1面に「訓練なく戦場 防弾チョッキに穴」という記事が載っていた。穴の空いた防弾チョッキを着せられ、訓練もなく戦場に送り込まれる。人の命がものすごく軽いものになっていく。それが戦争なんだと改めて感じる記事だった。それは、「ロシアがひどい」「プーチンがひどい」と言えることでもあるのだが、ボクは戦争とはそういうものなんだと解釈している。かつて大日本帝国も同じだった。特攻隊はまさにその象徴だ。骨壺に石ころだけで戻ってきたという話はよく聞く。そういう経験を多くの生き残った日本人はしてきた。だからこそ、立憲主義で権力に箍をはめ、戦争放棄を憲法に位置づけ浸透してきたのだろう。

話は変わって、教育新聞に「睡眠と第3の居場所 あなたは確保できている?」という記事があった。第3の居場所とは家庭と職場以外の場所での生活があるかということだ。ここに書き込まれている読者の投稿が痛々しい。

「仕事量だけでなく、管理強化(管理されていないのかもしれないけれど)の圧力を感じてしまって、言いたいことが言えないという精神的な疲れが大きいように感じます。業務以外の雑談をすること禁じられ、笑い声が消えた職場になり息が詰まりそうです。コロナと業務改善の影響で、和やかな会話ができなくなってしまいました。」「休みが年間3日しかないのに、居場所なんて作れるわけがない。」「教務と療休に入ったクラスを担任して、忙殺の日々です。おまけに地域やPTAとの調整、土曜日は、子ども達が活動している課外活動もあり、最高で19連勤もありました。もう、本当にどうにかして欲しいです。年齢的にも給料が上がらない。モチベーションは、下がります。第3の居場所だけでなく、収入の保証をして欲しいです。」

 先ほども現場から毎月過労死ラインを超えているという悲鳴にも似た声が届いた。地域連携特例校として「魅力化」という名の業務が降り注いでくる。授業準備も振り返りもできない。そんな話だった。ICT利活用、観点別評価…。イイ授業をするための時間もなければ、研修をする気持ちにもならない教育現場。

比喩にして良いのか戸惑いはあるが、命の危険も感じながら職場に向かう先生方の気持ちを考えると、ろくな装備も訓練もなく戦場にかり出されるロシアとそっくりではないか。