しばらくの間、何となくインプットが続いています。まだ、アウトプットされません。ボクはいつもこんな感じです。雨水が伏流水としてでてくるように、しばらく染みこんでなかなか出てこない。でも、時として溢れるように出てくるときがあります。ちょっとそれを待つ時期かなぁなんて思っています。元来、遊んでばかりいて浪人、留年をしたようなボクだから、もうちょっと遊びが必要だなとか思っています。根を詰めるとインスピレーションが鈍ります。

 組合の専従として1年を過ぎ、多忙化する職場、荒廃する教育に対して何ができるのか、退職者増による組合員数減少にどう対応するか。何が自分にできているのか。なかなか悩ましいところです。

 ウクライナの問題も自分の頭の中では整理がしきれずにいます。当然のことながら物価高になり、円安、株安も進行してきました。

 でも、やっぱり教育の根本は何のためにあるのか。それは戦後日本の教育はどのように出発したのか。そんなところに立ち返る必要があるんだろうなと思っています。

 ポツダム宣言では「日本の人びとをだまし、間違った方向に導き、世界征服に誘って影響勢力や権威・権力は、排除されなければならない」と書かれています(しかし、中曽根、小泉、麻生、安倍といった首相達はまさにこうした権威・権力者の子孫)。こうした反省を踏まえて作成された日本国憲法と教育基本法。その教基法の前文にはこう書かれていました。

「われらは、さきに、日本国憲法を確定し、民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示した。この理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである。」

世界平和を実現するのは教育の力だ!とはっきり書いてあるわけです。でも、ウクライナ侵攻が始まってから、「軍事費を増やすべきだ!」という声が聞こえても、「教育が大事だ!」と言う声が出てきません。こうした理念を歪める人が権力者になり、教基法が改正され、「人格の完成」とはどうあるべきかよりも、自分の頭で考えられない「進路決定マシン」と化している教員が増えていることと無関係では無いでしょう。

戦争とはどんなものか。日本人にはイメージしがたいものとなってしまいました。こうしたとき、今一度ノーベル平和賞を受賞したマララさんの言葉を思い出すといいなと思います。全文載せたいところですが、最後のところだけ。

 

『親愛なる兄弟姉妹の皆さん、何百万もの人が貧困、不正、無知に苦しんでいることを忘れてはなりません。何百万もの子どもたちが学校に通えていない現実を忘れてはなりません。私たちの兄弟姉妹が、明るく平和な未来を待ち望んでいることを忘れてはならないのです。

ですから、本とペンを手に取り、全世界の無学、貧困、テロに立ち向かいましょう。それこそ私たちにとって最も強力な武器だからです。

1人の子ども、1人の教師、1冊の本、そして1本のペンが、世界を変えられるのです。

教育以外に解決策はありません。教育こそ最優先です。』

〔マララ・ユサフザイさんの国連本部でのスピーチ(2013年7月12日、マララ・デー)〕

 

写真は本部飯です。最近は菅田さんが菱木さんの分まで一生懸命ヘルシーなサラダを作っています。ボクは体重が3kg増えたまま落ちません。厨房のある職場はヤバいです。