文科省はすっかり教育の条理を守りきれず、経産省や内閣府、財務省の介入を防げなくなった。今年大きな話題となった50年ぶりの給特法改正の議論も、そもそもは教職調整額を13%にするという文科省案だったのに、財務省に押し切られて腰砕けとなった。公教育解体ともいえる経産省主導のGIGAスクール構想によるオンライン活用(例:教員を配置せず配信授業等で代替する・不登校の生徒に教室の授業を同時配信させて学習保障ができたことにする)も止まらない。教育は人間が人間に行う営みである――その当たり前のことさえ、どこかに追いやられつつある。例えば授業をしていれば「今日はいい目をしているねえ」とか「なんか珍しく眠そうでしょ、どうしたの?」なんて会話が授業中にされる。しかし行政のいう「学習保障」にはそうしたやりとりは想定されていない。
そもそもの元凶は、2006年の教育基本法改悪だ。新教基法17条では「教育振興基本計画」を文科省が定め、その方針が「北海道教育振興計画」として盛り込まれることになった。「人格の完成」よりも「企業人・職業人の育成」が重視され、「学校が学校でなくなる」ような政策が次々と進められた。その結果、道教委は国ばかりを向くようになり、現場の声を驚くほど聞かなくなった。やさしく言えば「現場の声を聞いていたら国の方針に従えない」ということなのだろう。
ちなみに、道教委が高校で進めている肝いり事業に「BRIGE構築事業」というものがあって「アントレプレナーシップ教育推進プロジェクト」というものがすすめられている。「アントレプレナーシップ」とは日本語で「起業家精神」、つまり『起業家精神教育・推進プロジェクト』というエグい名前なのだ。やっていること(企業連携や起業体験など)は違えど、「社会に役立つ人間を効率的に育てる」という枠組みは戦前教育と響き合う部分がある。ここでも「人格の完成」より「企業人の育成」が優先されている。7つの学校が参加しているが、こんなことをしているから農業などで人手不足が起きるのだ、とボクは思う。そこの生徒たちがみんなスティーブ・ジョブズを目指しているわけでもないだろうに……。
この教育基本法改悪の帰結が、教員不足、教員志願者の激減、いじめの増加、そして子どもの不登校・自殺者数が毎年過去最多を更新する状況だ。それでも文科省は学校の在り方を根本的に変えようとしない。学習内容含め、教員には膨大な業務を押しつけ、「学校は正しいことをしている」という建前を崩さず、いじめや不登校への対応だけを場当たり的に強化している。単純に言えば「学校がつまらない」から問題が起きているのに、「つまらなくない学校」にする努力をせず、大人の事情ばかりが優先されている。子どものための教育なのに……。
制度面でも、大学入試共通テストへの英語民間試験導入、教員免許更新制の廃止などが次々と破綻を招いている。
こうした大きいことだけではなくて、そんなことは現場が分かっていたらできないだろうという様なことを、道教委まで平気でやるようになってしまった。今年だけでも、
- 懲戒処分の指針を改定し、通知で、管理職員の許可なく、SNS等により自校の児童生徒に対し、教科指導や進路指導などの校務で行った場合も、SNS等による児童生徒との私的なやり取りとして懲戒処分の対象とした。
⇒教科指導や進路指導は明らかに私的なやりとりではありません。
- 4月2日 道立高校3校の教諭ら計3人が、必要な免許状の所持や科目ごとに必要な申請を怠ったまま授業をしていたと明らかにした(北海道新聞 4月2日)
⇒そもそも申請数は全国最多の北海道。該当教科の配置ができていない責任を現場に押しつけ。
- 6月13 日 追加調査の結果、さらに道立高校3校で必要な免許状の所持や科目ごとに必要な申請を怠ったまま授業をしていた(北海道新聞 6月13日)
- 6月17日 道立中標津支援学校で、児童生徒14人分の4月から使う新しい教科書を配布していなかったと発表した。(北海道新聞 6月18日)
⇒半分以上の特別支援学校でこれまで認めていたやり方を急に方針変更して現場に謝罪をさせる。
- 札幌市が教室への私的端末の持ち込みを原則禁止した方向性(8月28日)と同じ方向性の通知を出すと報道機関に述べる。
⇒本当にそんなことをしたら、私的端末でしかできなかった授業(写真・動画共有やアプリ、自主教材の使用など)や、強烈に推し進めている学校の魅力化情報発信が急に滞ることだろう。仮に校長の許可でできる様になったとしても、保身的な校長たちには自主性など認められるわけがない。
素人ならともかく、現場を知っているはずの道教委がこんなことをするのだから、教員の口からは「やっていられない」という声が増え、若い先生を含め、熱心な先生ほどモチベーションを失ってしまう。
大丈夫か……。答えは「現場の声から始めること」にある。