ボクらは何のために教育をしているのだろうか。塾や予備校の肩代わりになっていないか。授業も「成績」(進路決定)の道具にしかなっていないのではないか。10月くらいになり、就職、専門学校、大学(推薦)でかなりの生徒の進路が決定すると急にだらけだしたり、寝てばかりになる教室を廊下から見ると感じてしまうのだ。

「進路が決まったから授業で学ぶことは無い!」

そう感じている生徒、そう感じさせている授業のいかに多いことか。

そして近年、キャリア教育という名の安っぽい進路指導が横行している。

「『目標』『夢』を見つけなさい。」

「夢を見つけたら、それに向けて努力しなさい!」

「そのために授業をまじめに受けて良い成績を取りなさい。」

これが教育産業の力を借りながら横行している。そこにまともに乗っかると「進路決定」の後には「学ぶことの無い」時間が広がる。

8月末、「全国教育のつどい」が行われる。それに向けて全道合研(昨年11月)の発表を元に道高教組から選ばれたEさんのレポート(特別支援学校)が道事務局のボクのところに届いた。そこには赤裸々にこの半年間のEさんの心の揺れ動きが書かれていた。修学旅行に向けて異常な働き方をしたこと。コロナになって修学旅行に行けなくなり、その後抑鬱状態になりかけたこと。そして命に限りのある生徒さんとの授業の日々。

 白血病が再発した生徒さんと、いつ授業中に容態が急変してもおかしくない状態で授業をしていたEさん。「将来のため」では無い授業。この1時間が最後の授業かもしれない。その思いを抱きながら授業をしたEさんの授業の記録は心が打たれるものがある。授業の中で今まで大好きだった先生とオンラインで再会して見せる満面の笑顔。友達からの励ましの手紙に返事を書きたいと、タマネギの染め汁で書いた授業での手紙。クリスマス会へのオンライン参加。ベッドの生徒さんが見る天井のスクリーンに映る友達。大好きな看護師さんとも会うことができ、最後の授業の一つ一つを楽しんでいたことがよく分かる満面の笑顔の写真。じんわりとボクの心に「教育」って何なのか、「学校」って何なのかを訴えかけてくる。

そもそも誰だって命がいつまであるかは分からない。それなのに多くの学校が、多くの先生がとってつけたように生徒の「将来のため」を振りかざし、「授業」をするばかりになっていないか。

行事も含め、仲間と一緒に学ぶ喜び、生きる喜びがここにあると思える学校、卒業後にそんなふうに思える学校。それを失ったとき、近い将来、教育を人間が行う必要は無くなるだろう。

「人格の完成」を目指していたはずの教育がすっかり「人材育成」になっていないか。

そんな事を改めて感じさせてくれるEさんのレポート。全国での発表が楽しみです。

 

写真は本部飯。最近は我が家の家庭菜園で取れた野菜がふんだんに食べられます。