合同教研の分科会が終了しました。参加されてた皆さん、お疲れ様です。
何気なく、事務局としてレポートに目を通していたとき、20分科会(障害児・障害者教育と福祉分科会)に提出されていた次のレポートに目がとまりました。
社会福祉法人さっぽろひかり福祉会第 2 ひかり工房施設長 髙井 賢二さんのレポー「あいさつ・雑談・ほうれんそう やめませんか?」です。題名がすごいですね。 このレポートには次の様に書かれていました。
『 職場適応の重要事項、キーワードといえるものが、「挨拶と報連相」である。報連相とは、報告・連絡・相談のことである。社会人として周りの協力を取り付け、与えられた業務を円滑に遂行していくためにはとても重要なスキルとされ、「挨拶と報連相」という、この二つがしっかりできれば必要なコミュニケーションは概ね満たしているとも言われている。』
確かにその通りです。高校ではめちゃくちゃ重視していることかもしれません。ボクはそういう教育はあまり受けていませんが、あいさつにはめちゃくちゃこだわりを持っています。「挨拶・報連相」熱心な先生ほど、意識していることかもしれないですね。しかし、それをやめませんか?というこのレポートとても興味深く読みました。
20分科会に参加した教育大学の学生さんが次の様な感想を書いていました。
『特別支援教育のコーディネーターや特別支援教育に携わる仕事の方々の話を伺う機会があまりなかったため、今回様々なことを学ぶことができて嬉しく思います。特に「あいさつ・雑談・報連相 やめませんか?」という題のレポートの話が印象に残りました。対人関係において「挨拶が基本」という話は私が学校でこれまでずっと教えられてきたことであり、社会的にも他者との円滑なコミュニケーションをとることができることが最低限のラインとされているように感じています。そんな中でのひかり工房さんの取り組みは大変斬新で信じられないようなものでした。』
そうなんですよね。ずっと学校で教えられてきたこと、最低減のライン。そして、それを意識している若い人が続々と先生になっている。このレポートは発達障がいを持った人たちがそういう指導に「過剰適応」し「対人過敏」から二次障害を発症してしまうということがレポートされているのですが、ひかり工房ではこうしたコミュニケーション信仰の呪縛が解かれると働ける人たちの幅が大きく広がるというのです。もう一度、学生さんの感想です。
『働き手となる人との話し合いを面接ではなく面談と述べたり、働き手に対しできる限りの環境整備を行ったりと、「働かせてあげている」というより「働いてもらっている」に近い考え方だと思いました。一方で非常に閉鎖的な環境であるようにも感じています。今の社会でそのような方針は珍しく、一般的には挨拶やコミュニケーション能力が求められます。教育等における挨拶と産業界での挨拶の違いというものがあまり理解できなかったからかもしれませんが、このような企業の取り組みを教育を学ぶ者としてどのように反映させていくのかが難しく感じました。』
ボクはこのレポートを読んだとき、これは発達障がいを持った人だけではなく普通校にこそ必要な視点だと感じました。正義の押しつけのようなことが子どもたちの発達を阻害していないのかと強く思いました。ボクがあいさつにこだわりがあるのもこの点です。生徒(号令かかり)に挨拶をさせることはしません(めちゃくちゃしたいなら別ですが・・・)。授業のあいさつも自分からする。廊下でもナチュラルに。人と人とのつき合いをすればイイと思うのです。
髙井さんにレポート掲載の許可をもらいましたので、ぜひ読んでみて下さい。
ところで題名にある雑談の話は出てきません。きっと雑談もやめましょうというと、「否定の否定」が生まれる。そんな期待感でしょうか。