2021年も終わろうとしている。50歳になったボクは26歳で仕事をし始めてから、通勤というものをしたことがなかった。何しろ公宅費は安かった。学生の頃は我慢して寮生活から始まり、17000円の間借りとか、21000円のワンルームで過ごしていたボクには、公宅費の安さはありがたかった。最初の住宅はボクが生まれたときにできたようなボロボロの公宅だったけれど、5000円でおつりが来た。これで3DK。めちゃくちゃ良い物件を見つけて、札幌で40000円で1DKの賃貸アパートで新婚生活をしていたボクら夫婦には贅沢だった。本当はダメなんだろうけど、もうすぐ壊すというので全部の部屋の壁紙を貼り替えて、風呂にはペンキを塗った。公宅で一生過ごそうと思っていたし、何しろ学校に近いというのが最高だ。今までの公宅は学校からだいたい1.5kmくらいのところにあった。車で通勤する人がほとんどなのだけど、ボクは歩いて通勤をする。季節の遷り変わりを感じながら、15分くらいの時間で頭を整理して職場まで歩く。職場にはできれば行きたくない。ボクは休みが大好きだし、遊ぶのが大好きだ。でも、車で通勤してしまうと2分で着いてしまうから嫌な気持ちのままで職場に着く。しかし、歩くと少し気持ちが整理されていく。これが良いのだ。ちなみに8年前に新居を構えた。子どもたちもずいぶん大きくなっているのに・・・。一生公宅で過ごそうと思っていたが、どんどん公宅費が値上がりした。もはや住宅ローンの半分くらいになったのではないだろうか。安ければ贅沢は言えない。ちなみにボクの子どもの頃に住んでいたのは1000円の公宅だった。父が工業高校の教員だったので建築科の生徒が実習で建てた家に住んでいた。めちゃくちゃボロだったのでいろんな思い出があるが。これはこれで良い人生経験だった。しかし値段が高いとなると腹が立つこともある。公宅は公共事業だからか、手抜き工事の温床だと思う。そんなことで新居を構えた。でも学校の近くにした。歩いて学校に行ける距離。実験道具や弁当箱などの忘れ物の多いボクはしょっちゅう家に帰れる。そういう距離がボクにとって最高だった。

 そして今。電車と地下鉄で50分ほどの通勤をしている。予備校時代に小樽から桑園まで通って以来32年ぶりだ。毎日、同じ時間に家を出る。忘れ物は許されない。思わず乗換駅を過ぎたり、地下鉄の定期を家においてきた時はめちゃくちゃ悲しい気分になる。そんな通勤でちょっとはおもしろいこともある。そんなことを今度また。(全く教育に関係の無い話でした。)