昨日は札幌フェスタでこんな話が紹介されていました。

 子どもが大事だと思う事と大人が同じだと思う事が違っていて、大人はそれが分かっていないと言う話です。  養護教諭の先生の話です。生徒が保健室に来たときにこんなことがあったそうです。

生徒「帰りたいっす。」具合が悪いようでもないのに、帰りたいと言う。

養護教諭「理由は?」なかなか言わないがやっと引き出した。

生徒「猫が死んだ。火葬場に行きたい。」

養護教諭「そうなの、それなら急いで帰ってください。猫のお葬式があなたにとって授業より大事なことなんでしょ。それなら帰りたいなら帰ればいいと思うよ。担任の先生がなんと言おうと、あなたにとって大事なことは大事にした方がいい。なんなら担任の先生に一緒に言ってあげるよ。」

今の教室では自分の大事を言えないということでした。先生も「学生なんだからお前の本業は授業だろ」と怒鳴るんだそうです。優先順位って人に決められないこともあるという話でした。そういえば自分のクラスの生徒が何度もずる休みの様に休むので、理由を聞くと、「お母さんがいなくなると、犬の世話をする人がいない」という理由だったことを思い出しました。話してくれる関係だっただけマシですね。

  今日は電車で卒業生に話しかけられました。生徒会の生徒だった女の子です。今、校則の問題が湧きあがってるんだよねと話すと、「わたし、専門学校から4年間髪を伸ばしてヘアドネーションしたんだ。叔母がガンで髪が無くなって悩んでるのを見てたから。それでね、久しぶりに弟に会ったら髪を伸ばしてるから何?って言ったら、姉ちゃんがやってたからオレもやろうと思ってさ。って話なんだけど、無頓着に頭髪検査の日になって学年主任にめっちゃ怒られたって言ってたさ。」と言うわけです。なかなかかわいそうな話です。ヘアドネーションを知っている生徒がどれだけいるか?それを知って行動したいと思った気持ちを受け止める段階はなかったのか?ヘアドネーションを通して個人がより広い世界と関わる関わり方を考える機会が消えることに心を傷める人は「多忙な(ホントかよ)」職場には、いないのか?これがLGBTでも同じことが起こるわけで。昨日の続きで考えさせられました。

 みなさん、どう思いますか。